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<title>整体師「鶴亀」の施術日誌と日々雑感…</title>
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<description>日々是徒然の如く…</description>
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<title>マウス</title>
<description> またまた、またまた、またまた　又々マウスが壊れた。 一年で4個目(^○^)(T_T) 最短の半月。 バッタ屋製（中国製）なので、保証書なんて無し。 しょうがないのでホームセンターで有線USBオプティカルマウスを買ってきた。 980円 結局、無線マウスの完成品は無いのだろうか。 今日、コンタクトレンズを作りに行った。 右目のお古で我慢しようと思ったが、やっぱり見えづらいのは我慢しづらい。 ここの目医者、ゆる～いのがお勧めのよ
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<![CDATA[ またまた、またまた、またまた　又々マウスが壊れた。 <br />一年で4個目(^○^)(T_T) <br />最短の半月。 <br />バッタ屋製（中国製）なので、保証書なんて無し。 <br /><br />しょうがないのでホームセンターで有線USBオプティカルマウスを買ってきた。 <br />980円 <br />結局、無線マウスの完成品は無いのだろうか。 <br /><br />今日、コンタクトレンズを作りに行った。 <br />右目のお古で我慢しようと思ったが、やっぱり見えづらいのは我慢しづらい。 <br />ここの目医者、ゆる～いのがお勧めのようだ。 <br />これ以上強くすると過矯正になりますよと。 <br />構いません、とことん先まで見えないと気が済まないのです。 <br />と、押し問答になった(^○^) <br /><br />お尻（肛門）に異常を感じて、大腸肛門科を受診した。 <br />軽～い痔瘻ですねと。 <br />手術ですねと。 <br />嫌です。 <br />抗生剤で勘弁して下さいと頼み込んだら、とりあえず抗生剤で様子を見て、その代わり大腸、直腸、S字結腸のカメラ＆レントゲンの検査をしましょうと。 <br />その代わりって、それ変じゃないのと思いつつまな板の鯉。 <br /><br />嫌なんですよねぇ、大腸検査。 <br />あれ？、1㎝大のポリープがありますよ。 <br /><br />来月の検査結果、それなりの処置をされるらしい。 <br /><br />地上げ。 <br />反論を内容証明郵便で送ったら、解答書などと書かれた訳の分からない嫌がらせの内容証明が来た。 <br />会社の授業員に告発したら、え～、そんなはずないないけどなぁ。と。 <br />仲介者を立てて話し合いの場を設けるからと。 <br />何が何だか分からない～。 <br /><br />昨日のそこまで委員会。 <br />憲法9条は必要か。 <br />一人を除いて必要なし。 <br />自国を守る軍隊は必要だ～の大合唱。 <br /><br />うん、守るのは必要だ。 <br />私もそう思う。 <br /><br />勝谷曰く、誰でも泥棒から身を守るために、家に鍵をかけるでしょうと。 <br />ざこばいわく、犯人を捕まえるために警察があるようなものでしょう。 <br />と。 <br /><br />あほか。 <br /><br />犯人を捕まえるという警察の役目のようなものと一国の軍隊とは同じじゃないだろう。 <br />百歩譲って、それが国連軍のような組織なら道理だが、一国の軍隊はあくまでも勝谷が言う家に鍵をかけるようなものだ。 <br /><br />しかも、家に鍵をかける、自国は自国で守る、自分は自分で守るのなら、アメリカ式の銃の所持を認めるべきなのだ。 <br />自国を守る軍隊が必要なら、自分を守る拳銃は必要だ。 <br /><br />軍隊必要説を唱えるパネリストは個人的拳銃所持の正当性を併せて解説願いたい。 <br /><br />私は、ダブルスタンダードは嫌いだ。 <br /><br />「ノルウェイの森」を買った。 <br /><br />最近、精神が井戸の中なので、無性に村上さんを読みたくなった。<br /> ]]>
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<dc:subject>雑感</dc:subject>
<dc:date>2009-11-20T16:55:52+09:00</dc:date>
<dc:creator>鶴亀</dc:creator>
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<title>憑き物が落ちたⅡ</title>
<description> 性善説は分が悪い。 私はずっと性善説を主張してきたが、どうも伝わらない。 何が違うのだろうと思ってたら、世間で考えられている性善説と私の性善説はかなり違っていることに気が付いた。 人間、生まれながらにして善を持っている。 つまり、何の教育も施されず、どんな環境においても人は善を成すというのが世間の「性善説」のようだ。 私は変人なので、とんと知らなかった。 私が言いたいのは、もっと根本的なことなのだ。 言
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<![CDATA[ 性善説は分が悪い。 <br />私はずっと性善説を主張してきたが、どうも伝わらない。 <br />何が違うのだろうと思ってたら、世間で考えられている性善説と私の性善説はかなり違っていることに気が付いた。 <br /><br />人間、生まれながらにして善を持っている。 <br />つまり、何の教育も施されず、どんな環境においても人は善を成すというのが世間の「性善説」のようだ。 <br />私は変人なので、とんと知らなかった。 <br /><br />私が言いたいのは、もっと根本的なことなのだ。 <br />言葉が持つ意味なのだ。 <br /><br />例えば「知らないと損をしますよ」とテレビがどこかのコマーシャルを流している。 <br />本当に知らないと損をするのか。 <br />私に言わせれば、すでに洗脳だ。 <br /><br />例えば、1000円の物が500円で買えることを知らなければ、1000円で買ったとしても損をしたと思わないではないか。 <br />1000円が500円になることを「知ってしまった」から損をしたと思えるのだ。 <br />つまり、知らないことを知ってしまうから損をするのである。 <br />あくまでも知っているから損を実感するのだ。 <br /><br />裏返せば、知らぬが仏。 <br />知らなければ損得も比較も選択もない。 <br /><br />知るということは本当は難しい。 <br />知ったつもりが洗脳だったというのが大半だ。 <br /><br />「知らないと大変なことになりますよ」って、知らないなら大変かどうかも分からないではないか。 <br />知るから大変さが分かるのだ。 <br /><br />どうも、世間とのズレが私にはあるようだ。 <br /><br />人は、生まれたときは何も知らない。 <br />では、善悪をいつ知るのだろうか。 <br /><br />人間、悪と知りつつ悪いことはできない。 <br />なぜなら、悪事を働くと、決まってそれを正当化しようとする。 <br />必要悪だとか生きるためだとか。 <br />つまり、悪を善に装いたいのである。 <br /><br />生きるために悪事を覚え、必要悪だと正当化する。 <br />では、善はどうか。 <br />善は覚えるものだろうか。 <br />善は正当化が必要だろうか。 <br />善とは気付くものである。 <br />善とは、それだけで正当である。 <br /><br />本当に悪事に気付くと罪悪感が生まれる。 <br />では、善に気付くと「罪善感」が生まれるか。 <br />そもそも「罪善感」などという言葉などない。 <br />「必要善」という言葉もない。 <br />悪は覚えるもの、つまり学ぶものなのだ。 <br />学ぶとは自身の中に無いから学ぶのだ。 <br /><br />代って善とは。 <br />善とは気付くものであって、覚えるものではない。 <br />つまり、学ぶものではない。 <br /><br />学ばなくても気付けるのはどうしてか。 <br />生まれながらにして自身の中に善という形式、容器が備わっているという証明である。 <br /> ]]>
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<dc:subject>施術</dc:subject>
<dc:date>2009-10-24T18:11:21+09:00</dc:date>
<dc:creator>鶴亀</dc:creator>
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<title>憑き物が落ちた</title>
<description> 哲コミュに「『心は存在するか』哲トピにこれがないのは問題だ」というトピを見て、なにやら憑き物が落ちたように腑に落ちた。 彼らと私の違い。 彼らが言う「存在」とはあくまでも唯物論的な存在だったのだ。 しかし、科学的な話を全然しない彼らがなぜ唯物論なのだろう。 自然科学以外に原理など無いのに、なぜ心の存在を科学的原理風に考えるのだろう。 見えない、聞こえない、認識できない「心」の存在をどうやって証明しよう
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<![CDATA[ 哲コミュに「『心は存在するか』哲トピにこれがないのは問題だ」というトピを見て、なにやら憑き物が落ちたように腑に落ちた。 <br /><br />彼らと私の違い。 <br />彼らが言う「存在」とはあくまでも唯物論的な存在だったのだ。 <br />しかし、科学的な話を全然しない彼らがなぜ唯物論なのだろう。 <br />自然科学以外に原理など無いのに、なぜ心の存在を科学的原理風に考えるのだろう。 <br />見えない、聞こえない、認識できない「心」の存在をどうやって証明しようというのだろう。 <br /><br />私は精神や命や愛や善など影も形もないものを科学的に考えようなんて全然思っていない。 <br />そもそも原理などないのだから。 <br /><br />彼らは「観念」のなんたるかを考えたことがあるのだろうか。 <br />私に言わせれば「国」と「河童」は同じもの。 <br />「お金」も「心」も同じもの。 <br />多分、それが理解されていないから、なにを言っても理解されなかったのだ。 <br /><br />心は存在するかと問われれば、存在するに決まっている。 <br />だって、心という言葉が存在しているではないか。 <br />「私には心が無い、心を認識出来ない」と言う人もいるだろう。 <br />でも、「心が無い」とは、そもそも「心」という存在を認めなければ「無い」と言えないのである。 <br />存在しないものを無いと言う必要がないし、そもそも言えない。 <br /><br />「無い」とは「有る」があって初めて存在出来る言葉なのだ。 <br />「無い」が最初に有るのはおかしい。 <br />「無が有る」という言葉は矛盾しているのだ。 <br /><br />「悪」も同じ。 <br />「善」を認めているから「悪」と言えるのである。 <br />最初から「悪」が有るわけではない。 <br /><br />「国」とは人間が決めたものだ。 <br />だから、尖閣諸島で揉めるのだ。 <br /><br />河童だって、誰かが「いる」と思い込んでいるのだから、その人にとっては「存在」だ。 <br />一人の思い込みであろうが、地球人全部の思い込みであろうが「観念」には何ら違いはない。 <br /><br />「ほうき」の材質で議論していては、掃除の本質は見えないと某マイミクさんがおっしゃった。 <br />アヤさんだけどね(^^) <br /><br />その通りなのだ。 <br />机の上のゴミを手で払えば、その手は立派な「手ぼうき」なのだ。 <br />綺麗になれば、全て「ほうき」なのである。 <br />掃除機は「電動ほうき」なのだ。 <br /><br />一方材質を考えるとは、ゴミの質によって最適なものを見つける、つまり科学的原理を見つけることであって、ほうきの本質を考える事とは別問題である。 <br /><br />愛だって善だって正義だって同じこと。 <br />無数の愛の形、善の形、正義の形がある。 <br />ほうきの材質である。 <br />それは、個人の中に有り、個人それぞれの感じ方である。 <br />それを議論していても本質など分かるわけがない。 <br /><br />ただ、形は変われど「愛」「善」「正義」すべて個人の中に、内容（材質）ではなく形式的に存在している、本質的に、観念的に存在しているとしか言いようがないのである。 <br />私はこれを「容れ物」と称している。 <br /><br />その容れ物に入れる「愛」や「善」や「正義」は、それこそほうきの材質を考えるように、矛盾しないものを入れることが最良なのである。 <br />そして、その最良はなにかと考えることが「考える」ということなのだ。 <br />科学的原理を考えるように考えるのである。 <br /><br />それを間違うと、殺人が正義だなどという原理が生まれてしまうのだ。 <br /><br />すなわち、言葉が存在である。 <br />言葉が存在の証明である。 <br /><br />閑話休題 <br />和歌山県で新聞配達中に倒木に衝突して亡くなられたそうだ。 <br />新聞って、命を賭けるほど価値のあるものなのだろうか。<br /> ]]>
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<dc:subject>雑感</dc:subject>
<dc:date>2009-10-11T19:16:16+09:00</dc:date>
<dc:creator>鶴亀</dc:creator>
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<title>見えないもの</title>
<description> ビートルズの全てのアルバムがリマスターされて発売された。 早速聞いてみた。 40年前の音源なので期待できないだろうなと思っていたが、なんのなんの、古さを感じないほど見事に良くなっている。 凄い技術だぁ。 それと音源がWAVファイルだからということもあるかもしれない。 私はPCに沢山音楽を詰め込んでいるが、ほとんどがmp3。 mp3というのは、簡単に言えば人間の耳には聞こえない音、大きな太鼓の音の裏にある小さな鈴の音
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<![CDATA[ ビートルズの全てのアルバムがリマスターされて発売された。 <br />早速聞いてみた。 <br />40年前の音源なので期待できないだろうなと思っていたが、なんのなんの、古さを感じないほど見事に良くなっている。 <br />凄い技術だぁ。 <br /><br />それと音源がWAVファイルだからということもあるかもしれない。 <br />私はPCに沢山音楽を詰め込んでいるが、ほとんどがmp3。 <br /><br />mp3というのは、簡単に言えば人間の耳には聞こえない音、大きな太鼓の音の裏にある小さな鈴の音とか、周波数的に要らない音とかをカットして、ファイルの大きさを10分の１くらいに圧縮したもので、カットしてあることにより復元不可能な不可逆圧縮と言われている。 <br /><br />元々聞こえない音をカットするのだから、音質が落ちたとは感じないはず。 <br />なのに、違う。 <br />ビートルズは幾らWAVファイルといっても、どんなにリマスターしても、現代音楽、現代録音に勝てるわけがない。 <br /><br />でも、新しい楽曲のmp3 より古いWAVのほうが良い。 <br />何が良いかというと、WAV（無圧縮）の原音は深い、重い、耳を通して心に感じる。 <br />それに比べて、mp3 は軽い。 <br />特に音量を上げると、大きい音にも関わらす軽い、薄っぺらい。 <br /><br />これは、音圧のせいだろうか。 <br />聞こえないはずの音は、「音圧」となって耳を通り心にしみる。 <br />聞こえないはずの音をカットすれば音圧が下がり、耳を通して脳にしか感じていないのだろうか。 <br />つまり、身体に感じていない。 <br /><br />久しぶりに「哲コミュ」を覗いてみると、まともだと思っていた人がトピを立てていた。 <br />「ジョハリの窓」の「他者も自分も知らない自己」という部分に存在を解明する鍵がある、みたいなことを書いているので、我慢できずに書いてやった。 <br /><br />存在の証明は「他者」という人間に限定する必要はない、と。 <br /><br />なぜ、彼らは「人間」にこだわるのだろう。 <br />なぜ、彼らは人間の「認識」にこだわるのだろう。 <br />なぜ、人間の意識、人間の知覚、人間の認識、つまりは個人主義的ポストモダンが好きなのだろう。 <br /><br />だから私は、他者も自分も知らない自己、認識されない存在、無意識の認識なんて沢山ある。 <br />それを、無視する、あるいは存在と認めないのは如何なものか、というような内容で書いた。 <br /><br />例えば、インフルエンザに感染すると「潜伏期間」というのがある。 <br />この間、本人は自覚できない。 <br />でも、感染した細胞は自覚している。 <br />だからこそ免疫が働く。 <br /><br />でも、人間の脳が自覚、意識、認識出来ないものを存在と認められないのなら、潜伏期間の自分の細胞の感染を自覚できないのだから、自分の細胞は存在しないことになってしまうではないか。 <br />自己の細胞が自己の細胞ではないという矛盾が生じるではないか、と言ってやった。 <br /><br />でも、誰も反論しない。 <br />通じない。 <br /><br />多分、何を言ってるのか分からないのだろう。 <br />彼らは、哲学書に洗脳されている。 <br />だから私は、「自分の言葉で考えよう」というと、「自分の言葉で書きましょう」の間違いではないですかと言われてしまった。 <br />私は、洗脳されていない言葉で考えましょうと言ったつもりだが、これも理解されない。 <br />阿保くさ。 <br /><br />音も存在も、見えない、聞こえない、認識出来ないものを無視してはいけない。 <br />哲学など糞食らえだ。 <br /><br />と、どうでも良い話なのだが、昨日、11月に行く京都ツアーの行程会議をした。 <br />みなさん沢山のお土産ありがとう。 <br />我が家の冷蔵庫はプリンやらシュークリーム、羊羹、お菓子が一杯。 <br />甘い物大好きの私は、当分おやつ三昧の嬉しい日々を送ります。 <br />ご飯、控えねば。 <br />でないと、血中糖度、血中炭水化物増えまくりぃ～。 <br /><br />ちょっと走るか(^○^)<br /> ]]>
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<dc:subject>雑感</dc:subject>
<dc:date>2009-10-07T19:23:28+09:00</dc:date>
<dc:creator>鶴亀</dc:creator>
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<title>カンパリソーダ</title>
<description> 昨日は、マイミクさん達を含め、同級生8人での宴会だった。 「同窓会の運営と反省会」。 そして「11月の京都旅行の会議」。 これはあくまでも名目であり、優先順位は宴会ありきということなのだが(^○^) 楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもので、5時過ぎから始めて、気が付けば10時半。 お～ぉ、もうこんな時間～。 寝る時間が無くなる～。 楽しいと言えば、不在者の言動と行動に対する精神を分析するというのはホントに楽しい。
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<![CDATA[ 昨日は、マイミクさん達を含め、同級生8人での宴会だった。 <br />「同窓会の運営と反省会」。 <br />そして「11月の京都旅行の会議」。 <br />これはあくまでも名目であり、優先順位は宴会ありきということなのだが(^○^) <br /><br />楽しい時間はあっという間に過ぎ去るもので、5時過ぎから始めて、気が付けば10時半。 <br />お～ぉ、もうこんな時間～。 <br />寝る時間が無くなる～。 <br /><br />楽しいと言えば、不在者の言動と行動に対する精神を分析するというのはホントに楽しい。 <br />平たく言えば、悪口言ってるだけと言えなくもないが(^○^) <br /><br />とりあえず仕事のことを考えるとあまり酔えないので「芋焼酎のロック」といきたいところだが「白ワイン」にしておいた。 <br /><br />私は、どういう訳だかワインだけは強い。 <br />ワインのアルコール濃度は日本酒に近いはずなのだが、酔い方も二日酔いも全然違う。 <br />ということで、生ビール1杯とグラスワイン6杯、その後カラオケで「カンパリソーダ」を4杯。 <br /><br />予想通り、睡眠時間3時間で目が覚めると、二日酔いどころが元気はつらつ、普段より爽快？かも～。 <br /><br />「カンパリソーダ」というものを始めて飲んだ。 <br />締めは「バーボンのロック」が良いのだが、そういう訳にもいかない。 <br />とりあえず目に付いたカンパリを頼んだ。 <br />カクテルだからワインみたいなものだろうと。 <br /><br />だが、これがとてつもなく不味い。 <br />出来の悪いグレープフルーツに苦みと防虫剤を足したような味と匂い。 <br />沢山飲めば慣れるだろうと意地になり4杯飲んだ。 <br />･･･慣れなかった。 <br />でも、これって二日酔いの薬になってるんじゃないの？ <br />味も香りも薬だもの。 <br />現に、全く二日酔いしなかったし。 <br />「ウ○ンの力」より効くかも～。 <br /><br />ということで私はこれを「ガンバレソーダ」と名づけることにした。 <br />カンパリソーダ改めガンバレソーダ。 <br />でも、カラオケ屋で注文しても通じないかぁ(^○^)<br /> ]]>
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<dc:subject>雑感</dc:subject>
<dc:date>2009-09-22T19:09:01+09:00</dc:date>
<dc:creator>鶴亀</dc:creator>
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<title>電源</title>
<description> 電気が汚れている。 こう書くと頭がおかしいと思われるかもしれない。 でも、電気は汚れているのだ。 汚れの原因はノイズ。 私のPCは、御多分に漏れず超タコ足配線で、何がどこに繋がっているのか、まるで迷路。 部屋の模様替えでもやろうものなら、この配線だけに半日は取られてしまう。 しかも、丁寧に整理したつもりが、結局みごとなタコ足となる。 私のPCは、今ではWindowsのテーマ（立ち上がりや警告などの時Windowsが出す音
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<![CDATA[ 電気が汚れている。 <br />こう書くと頭がおかしいと思われるかもしれない。 <br /><br />でも、電気は汚れているのだ。 <br /><br />汚れの原因はノイズ。 <br />私のPCは、御多分に漏れず超タコ足配線で、何がどこに繋がっているのか、まるで迷路。 <br />部屋の模様替えでもやろうものなら、この配線だけに半日は取られてしまう。 <br />しかも、丁寧に整理したつもりが、結局みごとなタコ足となる。 <br /><br />私のPCは、今ではWindowsのテーマ（立ち上がりや警告などの時Windowsが出す音）を全てOFFにしている。 <br />なぜかというと、同じコンセントから使っている窓用換気扇のスイッチを入り切りする度に、スピーカーから「ボン」というWindowsが出す警告音が出るのだ。 <br /><br />おそらく、スイッチのノイズが電線を伝わってPCに入り、Windowsが勘違いして音を出しているのだろう。 <br /><br />これは同じコンセントじゃなくても、壁の中で繋がっていれば同じこと。 <br />冷蔵庫が繋がっていれば、冷蔵庫のサーモスタットが入ったり切れたりする時のノイズが入る。 <br /><br />最近主流になっているのが「スイッチング電源」。 <br />交流を直流にする装置だ。 <br />PCも携帯電話も直流で動いているから「ACアダプタ」という装置が必要になる。 <br />簡単に言えば「電池」の代わり。 <br /><br />このスイッチング電源はノイズが多いらしい。 <br />でも、トランス型電源と違い、軽くて小さくて、しかも大きな電流を得られる。 <br />一長一短といったところ。 <br />ノイズに強い機器なら問題なくこちらのほうが有利なのだろう。 <br /><br />けど、新しく買った中国製の怪しいアンプにもスイッチング電源が付いていたのだが、どうもおかしい。 <br />LEDランプが妙に、不規則に明るくなったり暗くなったりする。 <br />ランプの不具合かと思っていたが、出る音も何となく変。 <br />自作のスピーカーはそれほど感じないが、タイムドメインに繋ぐと、以前より悪くなった気がする。 <br />薄っぺらな音がする。 <br /><br />ネットで調べてみると、スイッチング電源はラジオに繋いでみると良く分かるそうだ。 <br />明らかにザーザーとノイズが入るそうだ。 <br /><br />電源の綺麗さでは「電池」が一番なのだが、消耗品だし、充電式は面倒だしということで、次に綺麗なのが「トランス型アダプタ」。 <br /><br />これは、トランス型に代えるしかないと思案していると･･･ <br /><br />先日、粗大ゴミの当番をしていると（町内の役に当たっている）お風呂で使うジェットバスを捨てに来た人がいた。 <br />見ると、でっかいトランス型電源が付いている。 <br />１２ボルト。 <br />これは使えると、早速頂いて帰った。 <br /><br />結果、思った通り、LEDランプは綺麗に点灯しているし、なんと言っても、音が伸びやかになり、深くなり、秋の空のように澄みやかになった。 <br /><br />ちなみに、粗大ゴミの日、新品のような目覚まし時計があったので貰って帰り電池を入れてみると、２時間で１時間遅れる。 <br />なんじゃこりゃ(>_<) <br /> ]]>
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<dc:subject>雑感</dc:subject>
<dc:date>2009-09-05T11:29:32+09:00</dc:date>
<dc:creator>鶴亀</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>海辺のカフカ</title>
<description> 「海辺のカフカ」村上春樹著 某マイミクさんが日記に「1Q84 」について書かれているのを拝見して、読んでみたくなり書店に行た。 上下巻で3780円。 う～ん、文庫になってからにしよう。 横に「海辺のカフカ」の文庫が並べられている。 上下巻で1448円。 思わず買ってしまった。 上手な商売だ。 私は、自慢じゃないが「小説」というものをほとんど読まない。 ほとんどが「」（カギ括弧）で構成されているものは、特に。 会話だらけ
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<![CDATA[ 「海辺のカフカ」村上春樹著 <br /><br />某マイミクさんが日記に「1Q84 」について書かれているのを拝見して、読んでみたくなり書店に行た。 <br />上下巻で3780円。 <br />う～ん、文庫になってからにしよう。 <br />横に「海辺のカフカ」の文庫が並べられている。 <br />上下巻で1448円。 <br />思わず買ってしまった。 <br />上手な商売だ。 <br /><br />私は、自慢じゃないが「小説」というものをほとんど読まない。 <br />ほとんどが「」（カギ括弧）で構成されているものは、特に。 <br />会話だらけの本なら、絵の付いた漫画の方が数段上のように感じる。 <br /><br />人間の心理だとか作者の主張だとか思想とか、そういうものも要らない。 <br />わざわざ本を読まなくても、人間社会を見ていれば十分だ。 <br /><br />だから、当然作家の名前などほとんど知らない。 <br />最初、村上春樹と角川春樹の区別が付かなかったくらいだ。 <br /><br />でも、これだけの人気作家で、レビューを覗いてみると、やさしい言葉なのに何が言いたいのか分からないとか、哲学的で神秘的とか、主人公の心の成長だとか書かれているのでちょっと興味が沸いてきた。 <br /><br />しかし、読んでみると、これは感服いたしましたと素直に認める以外にないくらい天才だ。 <br />完璧だ。 <br />何もかも。 <br />下巻など一気読みだった。 <br /><br />まず、構成が上手い。 <br />一章が短くて、二章目に違う物語。 <br />三章目に一章目の続きが来る。 <br />つまり、二章目を読んでいるにもかかわらず、一章目の続きが気になってしょうがない。 <br />三章目を読み始めると、二章目の続きが気になる。 <br />大長編なのに飽きない。 <br /><br />それから、意図して簡単な文章を使っている。 <br />幼稚な内容でも難しい言葉を使えばそれなりの本は出来る。 <br />極端な話、国語辞典を丸暗記すれば難しい文章は書ける。 <br />しかし、難しい内容というか分かって貰いたい内容を分かって貰おうとすれば、極力分かりやすい文章でなければならない。 <br />これが、難しい。 <br /><br />これだけでも村上さんは天才だ。 <br /><br />前置きが長くなったが、村上さんが言いたいことを私なりに受け止めてみた。 <br />内容はネタバレになるので書かないが、一言で言えば、「主体は客体によって作られる」ということ。 <br />正確にはページを探らないと出てこないけど、多分、こんな言葉だったと思う。 <br />「主体は客体によって作られる」 <br />言い換えれば、「主観は客観によって作られる」ということ。 <br />もっと言えば、「自己の認識は他者の認識によって作られる」。 <br />もっともっと言えば、「私はあなたによって作られ、私は世界に作られる」。 <br />池田晶子の世界と通じる。 <br />「私はあなたで、あなたは私」ということ。 <br /><br />時間は過去から未来へと流れて行く。 <br />そこには因果律がある。 <br />どこそこの誰それの家庭に生まれたという原因により、結果が生まれる。 <br />それは必然ではなく、結果として。 <br />人は人生を経験する上で、否応なく因果を受け入れ、自由を無くしていく。 <br />不自由になっていく。 <br />いや、不自由が楽になっていく。 <br /><br />その反面、認識は時間を所有しない。 <br />主体は時間を超越して、客観的に作られている。 <br />つまり、時間軸に関係なく、人は人と繋がり、人は世界と繋がっている。 <br /><br />「自己の認識は他者の認識によって作られる」 <br />つまり自己の認識が世界を作っているのではなく、世界によって自己の認識が作られているということ。 <br /><br />たとえば、現代人は「幸せ」を自身という主体が価値観として感じれば、それが幸せだと言う。 <br />私が幸せだと思うことが幸せなのだと。 <br />主観こそが全てなのだと。 <br />私はこれがずっと疑問なのだ。 <br /><br />「幸せ」は、どんな環境であれ、どんな他人であれ、影響を受けて感じる感覚なのである。 <br />客体が無ければ感じることが出来ないのである。 <br /><br />そう考えてみると五感だってそうかも知れない。 <br />「味」だって、日本で生まれたという環境と、諸外国とでは感じ方そのものが違っているはずだ。 <br />アメリカ大陸を全ての人間が認識出来なくても、その影響で海流があり捕れる魚が違ったり、南アメリカ大陸の存在がエルニーニョやらラニーニャと呼ばれる現象を引き起こし、日本の天候を左右する。 <br />これは、その大陸の存在を認識しようがしまいが、日本人に影響を与えているということだ。 <br />つまり、認識は全て客体「他者」によってもたらされる。 <br /><br />では、私は何者なのだろう。 <br />作者は結論を書かずに（書けずに）田村カフカを現実の世界へと解き放つ。 <br />あとは、みんなで考えてねというメッセージかな(^○^)<br /> ]]>
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<dc:subject>レビュー</dc:subject>
<dc:date>2009-09-03T15:40:35+09:00</dc:date>
<dc:creator>鶴亀</dc:creator>
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<title>方角と所有Ⅵ</title>
<description> 哲コミュで何度となく目にした言葉がある。 「全てを疑え」と。 これは科学さえ信じてはいけないという意味を含んでいるのだそうだ。 哲学とは考える事。 これは、全ての人が口を揃えて言う言葉。 じゃぁ、何を基準に考えるのだ。 不思議。 全てを疑うということは基準（尺度）さえ疑うということ。 「２×２＝４」を疑う人は面積の計算が出来ないということになる。 独我論のようにこの世の全ては認識で成り立っているという考え方
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<![CDATA[ 哲コミュで何度となく目にした言葉がある。 <br />「全てを疑え」と。 <br />これは科学さえ信じてはいけないという意味を含んでいるのだそうだ。 <br />哲学とは考える事。 <br />これは、全ての人が口を揃えて言う言葉。 <br />じゃぁ、何を基準に考えるのだ。 <br />不思議。 <br /><br />全てを疑うということは基準（尺度）さえ疑うということ。 <br />「２×２＝４」を疑う人は面積の計算が出来ないということになる。 <br />独我論のようにこの世の全ては認識で成り立っているという考え方は、唯一の基準（尺度）が主観（価値観）のみになる。 <br />「認識が現象を作っている」などという哲学者だっている。 <br /><br />私は以前からずっと自然科学以外に「原理」や「基準（尺度）」など無いと思っている。 <br />「宗教」「社会」「文化」「教育」「思想」「経済」などなど、科学以外の人間活動に基準など存在しない。 <br />その証拠に、文明は進歩するが、宗教や社会、思想、経済、全ての人間活動は人間が誕生して以来進歩していない。 <br />養老孟司は言う。 <br />紀元前の子供に現代教育を施せば、おそらく理解するだろうって。 <br /><br />「昔は良かった。今の若者は」と言われるのは今に始まったことではないらしい。 <br />江戸時代の文献にも同じようなことが書かれているそうだ。 <br />多分、有史以来繰り返えされてきた言葉なのだろう。 <br /><br />科学は進歩する。 <br />間違いなく。 <br />これは原理が存在するから。 <br />そして、その原理を見つけてきたから。 <br />なぜ人間だけが原理を見つけられたのだろうか。 <br />それは、人間にだけ「想像力」という能力が備わっていたからだと思う。 <br />動く太陽を見て、もしかして自分が動いているのではないのだろうかと気付けるのが想像力だ。 <br />つまり、逆説に気付ける能力だ。 <br /><br />昔々の哲学は科学を含んだ学問だった。 <br />それがいつの間にか分離され、文系の学問になった。 <br />そしてその後の哲学者達は、宗教や社会、経済や思想に原理を見いだそうとした。 <br />しかし、科学以外に原理なんて存在しないのは自明の理だ。 <br />人を救うはずの宗教は、原理主義という名の下に人を不幸にしている。 <br />市場原理というアメリカお得意の経済は瀕死の状態だ。 <br /><br />言葉には文法という原理がある。 <br />じゃぁ、なぜ平安時代の言葉と現代とではこれほど違うのか。 <br />ズボンがいつの間にパンツになるのか。 <br /><br />ミスコンテストの基準はどこにあるのか。 <br />アカデミー賞の基準はどこにあるか。 <br />レコード大賞は何を基準に選ぶのか。 <br />芥川賞は、直木賞は･･･ <br /><br />思想に原理はあるのか。 <br />主義主張は誰の主観か。 <br /><br />知りたいとは何を知りたいのか。 <br />決まっている。 <br />知りたいのは、原理であり真理であり本質である。 <br /><br />つづく･･･かな？<br /> ]]>
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<dc:subject>天邪鬼コラム</dc:subject>
<dc:date>2009-08-29T19:13:19+09:00</dc:date>
<dc:creator>鶴亀</dc:creator>
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<title>方角と所有Ⅴ</title>
<description> 言葉は人間が発明したもの。 これを疑う人は希だと書いた。 しかし、因果律により元となる何かがあるから言葉が生まれた。 とも書いた。 光があるから目という器官が誕生するように。 音という元があるから耳という器官が生まれるように。 何かがあって言葉が生まれる。 目があるから光が見えるのではなく、耳があるから音が聞こえるのではない。 認識するから存在するのではなく、存在するから認識するのだ。 光の波長があるから
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<![CDATA[ 言葉は人間が発明したもの。 <br />これを疑う人は希だと書いた。 <br />しかし、因果律により元となる何かがあるから言葉が生まれた。 <br />とも書いた。 <br /><br />光があるから目という器官が誕生するように。 <br />音という元があるから耳という器官が生まれるように。 <br />何かがあって言葉が生まれる。 <br /><br />目があるから光が見えるのではなく、耳があるから音が聞こえるのではない。 <br />認識するから存在するのではなく、存在するから認識するのだ。 <br />光の波長があるから色として認識するのであって、色として認識するから光が存在するのではない。 <br /><br />認識するからハワイがあるのではなく、ハワイが存在するから認識出来るのだ。 <br />認識出来ないからハワイが存在しないのでもなく、認識出来ないからといって存在しないに等しいのでもない。 <br />存在するという認識ができないだけであって、厳然と、確実に、ハワイは存在するのだ。 <br /><br />地球が丸くて、回っていると分かったとき、上下東西は客観的、普遍的ではなくなった。 <br />しかし、「北」と「南」は地軸を軸に地球が回っているという原理により、未だ客観的、普遍的なのだ。 <br /><br />人は、現象や物質、見えるもの感じるもの、想像するもの全てに名前を付けた。 <br />名前は付けたが、所有者は名づけた本人にあるとは言えない。 <br />子供が生まれたら名前を付ける。 <br />花子と付ける。 <br />でも、花子という言葉は名付け親の所有ではなく、子供自身が所有しているのだ。 <br /><br />つまり、「北」と「南」は、名付け親は人間だが、所有者は地球にある。 <br />現在の科学的な本質として、東西は個人的な価値観、つまり主観としての個人所有でしかないが、「北」と「南」は個人的に所有していない。 <br />北と南は個人の所有を離れ、「原理」として地球が所有する普遍的本質なのである。 <br />所有者は私ではなく地球であり宇宙なのだ。 <br /><br />つづく<br /> ]]>
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<dc:subject>天邪鬼コラム</dc:subject>
<dc:date>2009-08-28T06:08:20+09:00</dc:date>
<dc:creator>鶴亀</dc:creator>
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<title>方角と所有Ⅳ</title>
<description> 「哲学が好き」のコミュニティのトップページに「色について」という管理人の文章がある。 最初に書いた、「認識」についての問いであり、独我論の根拠となる。 この世の全ての存在は自分の目、自分の脳を通しての謂わば間接的な認識であり、したがって「色」の感じ方、見え方は人それぞれで違い、それは客観的、普遍的にはなり得ず、全ての世界は主観としてしか捉えることは出来ないと。 損得論もこの主観的な考え方の延長なのだ
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<![CDATA[ 「哲学が好き」のコミュニティのトップページに「色について」という管理人の文章がある。 <br />最初に書いた、「認識」についての問いであり、独我論の根拠となる。 <br />この世の全ての存在は自分の目、自分の脳を通しての謂わば間接的な認識であり、したがって「色」の感じ方、見え方は人それぞれで違い、それは客観的、普遍的にはなり得ず、全ての世界は主観としてしか捉えることは出来ないと。 <br /><br />損得論もこの主観的な考え方の延長なのだ。 <br />客観的に見てどんなに損なことでも、人間は主観的に得なことしかやらないのだと。 <br /><br />私は散々この主観的哲学を論じる人たちと議論した。 <br />そして、この主観的認識に賛成する人たちの多いことに驚いた。 <br />自己紹介のトピでも、「色について」に賛同する人が沢山いる。 <br />しかし、私が幾ら「価値観」で議論するのは止めようと言っても通じなかった。 <br /><br />一方でこんなトピがある。 <br />「宇宙人はいると思いますか」 <br />地球上の生物以外の生物がいると思うかという問いなのだが、予想に反して「いる」という人がほとんどなのだ。 <br />このトピに関してだけ、なぜだか独我論が登場しない。 <br />主観的認識論が語られない。 <br /><br />哲学が好きな人は、普通の人より一貫性がない。 <br />一貫性があるなら宇宙人など現在において認識出来ないものがいるとは言えないはずなんだがなぁ。 <br /><br />それとも彼らは宇宙人を主観的に認識しているのだろうか。 <br />不思議。 <br /><br />話は戻って、方角の話。 <br />ある時人は地面が動いている事に気付く。 <br />遊園地のコーヒーカップに乗ると景色が回る。 <br />でも、それは自分が回っているのだと気付いたのだ。 <br /><br />地球は丸く、しかも回っていると分かってくる。 <br />すると、自分にとって「上」は地球の裏側の人にとっては「下」であり、自分にとって「東」は裏側の人には「西」だったと分かる。 <br />日本から東に向かうとアメリカに着くが、アメリカから東に向かっても日本に着くと気付く。 <br /><br />そしてその瞬間、「上」「下」「東」「西」という言葉の客観性、普遍性が崩れ、主観的な個人的所有としてしか役に立たなくなる。 <br /><br />つづく<br /> ]]>
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<dc:subject>天邪鬼コラム</dc:subject>
<dc:date>2009-08-26T11:23:21+09:00</dc:date>
<dc:creator>鶴亀</dc:creator>
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